ルーヴル美術館で見ることができる有名な作品を紹介

ルーヴル美術館で見ることができる有名な作品を紹介

 

 

ルーヴル美術館は、フランスのパリにある世界最大級の美術館で、世界最大級の史跡の一つでもあります。この美術館は、パリ中心部1区のセーヌ川の右岸に位置しています。

 

ルーヴル美術館は、12世紀にフランス王フィリップ2世が要塞として建設したルーヴル城を元にしています。その後、幾度となく増改築が繰り返され、現在のルーヴル宮殿の建物となっています。

 

美術館としては、1793年に正式に開館しました。そのコレクションは、先史時代から19世紀までのさまざまな美術品3万5,000点近くが、総面積6万600平方メートルの展示場所で公開されています。

 

モナ・リザ

作品名 モナ・リザ
作者 レオナルド・ダ・ヴィンチ
制作年代 1503年 - 1519年頃
寸法 77 cm × 53 cm

 

レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス期に活躍した偉大な画家の一人である。彼が描いた「モナ・リザ」は、世界で最も有名な絵画の一つとされる。この絵はフランスのルーヴル美術館に展示されており、常に多くの人々の注目を集めている。しかし、この絵には多くの謎が隠されている。

 

この絵がいつ完成したのか、どこで描かれたのか、そして誰がモデルだったのかは、今なお解明されていない。「モナ・リザ」という名前もレオナルド自身が付けたものではなく、16世紀の美術史家ジョルジオ・ヴァザーリが書いた『美術家列伝』から引用されたものである。

 

その本によれば、モデルはフィレンツェの名士フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻エリザベッタであり、彼女は「モナ」という敬称と愛称「リザ」を合わせて呼ばれていたという。

 

しかし、他にも様々なモデル説が存在し、議論は絶えない。だが、「モナ・リザ」が有名な理由は、謎だらけであるからというだけではない。レオナルドは画家だけでなく科学者でもあった。

 

彼は気象や植物や人体や水の流れなど、あらゆるものを正確に観察しようとした。そのために、さまざまな角度から対象を分析し、人体解剖まで行った。そして、その観察の成果を絵画に反映させるために、光の効果を細かく計算し、ほとんど透明と言えるほど薄い絵具を何十層も重ねて塗った。

 

そのおかげで、「モナ・リザ」の微笑みは、高貴さと妖しさが混在した神秘的な光沢を放っている。その光沢は500年以上経った今でも色あせず、見る者に深い感動を与え続けている。

 

ヴェロネーゼの『カナの婚宴』

 

作品名 カナの婚宴
作者 パオロ・ヴェロネーゼ
制作年代 1563年
寸法 666×990cm

 

ヴェロネーゼの『カナの婚宴』は、1562年から1563年にかけて制作された大作で、サイズは666×990cmにも及びます。

 

この絵画はもともと、ヴェネツィアのサンジョルジョ・マッジョーレ修道院の食堂に飾られていましたが、ナポレオンによって略奪されてフランスに運ばれました。
この絵画の主題は、キリストが初めて行った奇跡とされる、水をぶどう酒に変えたというエピソードです。

 

しかし、ヴェロネーゼはこの聖なる場面を、当時のヴェネツィアの豪華な宴会に置き換えて描いています。

 

テーブルには、カール5世やフランソワ1世といった当時の権力者や、ティツィアーノやティントレットといった同時代の画家たちが登場しており、彼らは音楽や会話を楽しんでいます。

 

このように、ヴェロネーゼは自分の時代の文化や社会を反映させた作品を創り出しました。

 

マリード・メディシスのマルセイユ上陸

作品名 マリード・メディシスのマルセイユ上陸
作者 ピーテル・パウル・ルーベンス
制作年代 1622年ー25年
寸法 394×295cm

 

フランスの王朝に嫁いだイタリアの女性、マリー・ド・メディシスの人生を描いた絵画があります。その中の一枚に、彼女がフィレンツェからマルセイユに船で渡ってきたときの様子が描かれています。

 

画面の中心には、27歳のマリーが堂々とした態度で前を見つめています。

 

彼女はブルボン王朝の始祖であるアンリ4世と結婚するために、この地にやってきたのです。

 

船の下では海の精たちが、美しく力強い姿で水しぶきをあげながら、新しい王妃の到着を祝福しています。

 

この絵画は、17世紀前半にバロック絵画の最盛期を築いたルーベンスという画家が描きました。

 

彼はマリーの人生の華やかな場面を、壮大な歴史劇として、24枚の連作にまとめました。

 

この一枚はその中でも特にイタリア女性としてのマリーの誇りを表現した名作です。

 

マリーは1600年に莫大な持参金を持って、アンリ4世の2番目の妃となりました。

 

彼女は5人もの子供を産みましたが、宗教戦争で平和をもたらしたアンリ4世との愛情はすぐに冷めてしまいました。

 

そして1610年にアンリ4世はカトリック教徒に暗殺されてしまいます。

 

その後、マリーは9歳だった息子ルイ13世の摂政としてフランス宮廷で絶大な権力をふるいました。

 

しかし、成人したルイ13世とは親子仲が悪くなってしまいます。

 

その後和解したマリーは1621年にパリのリュクサンブール宮殿の壁面に自分の生涯を描いた絵物語を飾ることにしました。

 

この壮大なプロジェクトをフランドル出身の宮廷画家ルーベンスに依頼したのです。

 

ルーベンスは『バロック絵画の巨匠』と呼ばれるだけあって、3枚の肖像画を含む24枚からなる素晴らしい作品を約3年間で完成させました。

 

運命に翻弄されながらもフランス宮廷で巧みに立ち回った女性、マリー・ド・メディシス。

 

彼女の人生を見事に描き出したこの一枚はルーベンスの代表作として今でも多くの人々に感動を与えています。

 

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール「ポンパドゥール侯爵夫人の肖像」

 

作品名 ポンパドゥール侯爵夫人の肖像
作者 モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール
制作年代 1755年
寸法 175×128cm

 

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールの「ポンパドゥール夫人の肖像」は、パステル画の名手として知られる彼の代表作の一つです。

 

この作品は、当時のフランス国王ルイ15世の公妾であり、ロココ様式や文化の形成に多大な影響を与えたポンパドゥール侯爵夫人が35歳の頃の肖像画で、侯爵夫人の弟マリニー候から依頼され制作されました。

 

優雅な衣服に身を包んだ夫人の姿が色鮮やかなパステルの輝きを伴ってきらびやかに描かれています。また、机上には“百科全書”などの書籍が並び、さらに足もとのスケッチ挟みや、手にした楽譜から、夫人の典雅さだけでなく、文芸への趣味も十分に表現されています。

 

コロー「モルトフォンテーヌの思い出」

 

作品名 モルトフォンテーヌの思い出
作者 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
制作年代 1864年
寸法 65×89cm

 

ジャン=バティスト・カミーユ・コローの「モルトフォンテーヌの思い出」は、1864年に制作された作品で、彼がフランス各地を旅し、美しい風景に触れた結果生まれた作品の一つです。この作品は、湖畔の静かな風景を描いており、湖のほとりで木の実をとろうとする人物が描かれています。

 

コローは、19世紀フランスの画家で、新古典主義の流れをくんでいたアカデミズム絵画を学んだ後、それを脱却し新時代の流行を作り上げました。彼の作風は後世の画家たちに多大な影響を与え、バルビゾン派と呼ばれ、のちの印象派に大きな影響を与えました。

 

この作品では、湖畔の風景が詩的に描かれており、夢の中の出来事を切りとったかのような情景が心に深く刻まれます。また、コローは水辺を背景にシルエットで浮かぶ木立を描く流麗な筆さばきは、自然観察からあみだしたコローの技巧の冴えを余すところなく見せています。

 

プッサン「詩人の霊感」

 

作品名 詩人の霊感
作者 ニコラ・プッサン
制作年代 1629?1630年頃
寸法 183 cm × 213 cm

 

画面の中央で竪琴を抱え、右手を差し伸べているのは詩神アポロンで、右手にいる詩人に霊感を授けています。霊感を受けた詩人はペンと紙を手にし、今、詩句を書きとめようとしているところです。左手にいるのはアポロンの支配下にいる芸術と学芸の女神(ミューズ)たちの一人であるカリオペです。カリオペの足元にいるプットーが手にしている書物には、「オデュッセイア」、「イリアス」、「アエネーイス」と記されており、この詩人は叙事詩人であると思われます。

 

詩を書いている人物が誰なのかについては諸説あります。候補としてプッサンの友人であったイタリアの詩人ジャン・バッティスタ・マリーノ、プッサンが好んだ同じくイタリアの詩人トルクァート・タッソまたはルドヴィーコ・アリオスト、そして古代ローマの詩人ウェルギリウスなどが挙げられていますが、ウェルギリウスであるという立場の研究者が多いようです。

 

プッサンはイタリア盛期ルネサンスの巨匠ラファエロやティツィアーノから学びましたが、本作ではプッサンの古典主義的傾向がよく表れています。

 

ドラクロワ 「民衆を導く自由の女神」

 

作品名 民衆を導く自由の女神
作者 ウジェーヌ・ドラクロワ
制作年代 1830年
寸法 259 cm × 325 cm

 

ウジェーヌ・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』は、1830年に起きたフランス7月革命を主題とした絵画です。この絵画は、自由を求めて立ち上がった民衆と、それを率いる自由の女神の姿を劇的に描いています。

 

中心に描かれている果敢な女性は、フランスのシンボルであるマリアンヌで、彼女は自由の女神として描かれています。彼女が被っている特徴的な帽子はフリジア帽で、古代ローマでは解放された奴隷が自由になったことの証としてフリジア帽を身につけたと言われています。

 

また、彼女が掲げているフランス国旗は、民衆が自由を求めて立ち上がった象徴として使用されました。そしてこの絵画が広く知られるようになって以降、フリジア帽を被ったマリアンヌは単に自由の象徴でなく、フランスそのものの象徴となっていきました。

 

この絵画は、戦闘の対立構造として「民衆 vs 国王軍」を描いています。地面に倒れている軍服姿の男性2人が国王軍で、よく見ると右後方には軍隊が整列して民衆に向かって激しく発砲しています。一方、画面左から中央に進出してくる民衆は誰一人としてこの女神の存在を認知していません。

 

しかし、地面に倒れながらも何とか身を起こしている瀕死の男性だけが女神の存在を認識し、視線を投げかけています。これは死が近づいたことで、自分たちが傷つき倒れながら手に入れようとしていた「自由」が自分たちと共にあることを認識できたと解釈することができます。

 

この絵画はロマン主義の代表作であり、そのドラマチックな描写や象徴的な要素から多くの人々に影響を与えています。